ガラスの仮面
『ガラスの仮面』(ガラスのかめん)は、美内すずえによる少女漫画。「花とゆめ」(白泉社)に1976年1号から連載されているが、近年は休載が多い。2004年12月に、約6年ぶりに最新刊〔42巻〕が発売された。略称は「ガラカメ」。
演技の天才少女が花開き、才能を伸ばしていく様を描いたもの。
演劇を題材にするだけに、漫画の中で劇が演じられる場面が多く、本作品独特の雰囲気を生み出している。作品中で登場人物たちが演じる劇は、『嵐が丘』『奇跡の人』など著名な作品もあるが、中盤以降は一部を除き美内すずえ自身の手によるオリジナルである。オリジナル劇の内容は、初期にはたんに上演シーンを示すことが目的でその筋立てなどはあまり詳細に語られなかったが、マヤが一人芝居をするようになってから以降は劇中劇がストーリー性をもち、詳細に描写されるようになった。
[編集] 原作バージョン
原作は雑誌連載と単行本について、途中から雑誌版から単行本にする際大幅な書き下ろしを行なうようになったため、粗筋が異なるものとなり単行本版、雑誌連載版、短期集中連載及びプラチナ増刊版という3種類のストーリーが展開されるようになった。例えば単行本38巻以降は雑誌版原稿を使用せず全面改稿されているという。
かつて、舞台『紅天女』(くれないてんにょ)で主役を演じ、大女優と謳われた月影千草は、芸能界を引退し、今は横浜で静かな生活を送っていた。そんな月影の下をたびたび訪れる男たちがいた。大都芸能の社長令息・速水真澄と演出家の小野寺一である。彼らは原作者から『紅天女』の上演権を譲られている月影から上演許可を得て、女優の姫川歌子主演で『紅天女』を上演しようと目論んでいたのである。しかし、月影は『紅天女』の主演は自分もしくは自分が育てた女優にしか演じることは出来ないと言って、彼らの申し出を拒絶する。そして、10年待って、自分が育てた女優が大成することが出来なければ、上演権を譲ると言い放つのだった。
月影が目をつけていたのは、貧しい家庭で育った少女、北島マヤだった。マヤは実の母親をして「何の取柄もない」と嘆かせる平凡な少女だったのだが、一度見た芝居や映画のセリフや役者の動作を正確に記憶するという特技、本能的に役を理解し役に憑かれたかの如く演じるという底知れぬ才能があった。そんなマヤの秘められた力を月影は見抜く。マヤもまた次第に演劇の面白さに目覚めていくのだった。そして、演劇を本格的に勉強したくなったマヤは劇団オンディーヌの入団試験を受験しに行く。授業料の高さに入団をあきらめたマヤだったが、ひょんなことから、パントマイムの試験を受けることになる。そのとき、マヤの演技を目にした姫川歌子の娘・姫川亜弓はマヤの演技に衝撃を受ける。父は有名映画監督、母は大女優という両親の一粒種である亜弓は、美貌と才能と卓越した演技力で芸能界においてサラブレッドと謳われており、それまで脅威を感じる相手に出会ったことはなかった。
月影はやがて、後継者育成のために劇団つきかげを旗揚げし、女優を目指すために家出をしたマヤはそこの奨学生として、月影のもとで演劇の勉強をはじめる。やがて、劇団つきかげで頭角を現したマヤを亜弓はライバルとして認め、二人は互いに切磋琢磨しながら、演技を磨いていく。
一方、『紅天女』の上演権を手に入れるため、速水と小野寺は劇団つきかげをつぶそうといろいろと画策していく。しかし、どんな嫌がらせにもめげず、ひたむきに演劇に情熱をかたむけるマヤの姿に速水は心打たれていく。露骨な汚い手を使わないよう、小野寺を牽制する一方で、速水は、あしながおじさんのように匿名でマヤを支えるが、速水のマヤに対する思いは次第に恋愛感情へと変わっていくのだった。マヤもまだ見ぬ庇護者に対して感謝と親愛の情を募らせ、いつか会いたいと願うようになる。が、その人が時に憎み、時にその優しさに触れて戸惑う相手、速水であるとは気付かない。
順調に経験を積むかに見えたマヤに大きな落とし穴が待っていた。母親の壮絶な死や芸能界の魔の手によってマヤはどん底に叩き落される。マヤは演技をする場を失い、またショックと絶望に打ちのめされて演技をすること自体も全く出来なくなってしまう。だがその間、自分と知らせず陰ながら見守り続ける速水や、ライバルでありながらマヤの演技への情熱を信じて待つ亜弓の存在に励まされ、マヤは演技者としてさらに大きく成長していく。 そして、志を同じくする2人の少女を見つめる月影はついに、マヤと亜弓を紅天女の主演候補に認定する。
『紅天女』の主演を演じるのは、マヤか? それとも亜弓か? マヤと速水真澄の愛は成就するのか? 様々な人物の思いが交錯しながら、物語は終盤を迎えつつある……。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム